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憧れの自分自身を目指し奮闘
若き未来のリーダー

​滲み出るお客様との信頼関
信頼関係

東西線・西葛西駅の南口を出て広場へ。

ここを直進し、突き当りを左に曲がるとすぐのビルに、黒地に白抜きで書かれた「Luna Cresta」と月と星、まつ毛を思わせるカッコイイ看板が見えてきた。

今回で4人目となるコンシェルジュさんの取材。

いったいどんな女性だろう。

4階までエレベーターで上がり、チャイムを押した。

「は~い、こんにちはぁ」の声と同時に扉が開いた。

長い髪が印象的な何とも可愛らしい女性が出てきた。

枽野知佐妃さんだ。

朝のお客様は10時の予約。私が到着したのは9時40分。

既に枽野さんは開店準備を終えていた。

準備は、掃除だけではなく、iPadに入ったカルテでお客様との前回の会話や、これまでのまつ毛の状態を把握する。

まつ毛美容液やファンデーションなどの商品を、「お客様が興味を持ってくださるように、見えやすい配置を考えています」と丁寧に並べる姿に彼女の心の繊細さが垣間見れた。

10時。枽野さんをいつも指名されているというお客様が来店。

花粉が舞う時期ということもあり花粉症かどうかなどお客様の今の状況とまつ毛のデザインを確認する。

既に二人の中で完成イメージが理解し合えているようで、確認にほぼ時間はかからず施術に入った。

10分もしないうちにお客様の寝息が聞こえてきた。

枽野さんに任せて安心!という信頼関係があるからだろう。

 

1時間で完成! 速い! その速さの理由は後で知ることになる。

お客様がまつ毛を鏡で見る。

「わぁ♪」と声を上げて喜ばれた瞬間、枽野さんのお顔は何とも幸せそうだった。

そして、横顔が見える位置にいた私も「横から見ても本当に綺麗ですね」と心の声をもらしてしまった。

お客様は目を細めて笑顔で「ですよね!」と。

枽野さんを毎回指名する理由は、「雰囲気が落ち着くんです。

何よりも思ったまつ毛のイメージを必ず再現してくれるから」と再びにっこり。

どうやら今回も魅力的なコンシェルジュに出逢ってしまった。

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​自分がお客様だったらと考える

次のお客様は門前仲町店で午後1時からだというので、くっついて行った。

西葛西駅までの道中、どこかほっとした感じで歩く彼女は「お客様が施術後に『まつ毛が上がった!綺麗!』『他店にも行ったけどここに来て良かった!』と喜んでくれることが一番嬉しいです」と話し、先ほどのお客様の満足度に幸せを感じているようだった。

電車で一緒に移動しながら、以前勤めていた美容院と今の職場との違いを聞いてみた。少し時間をかけながら、昔を思い出すように遠くを眺めて言った。「自分と闘える場を見つけました」。

 

門前仲町のお客様はグレーヘア―が良く似合うスタイル抜群のマダムだった。

こちらのお客様もいつも枽野さんを指名。雑談の中から、お客様が近日中にアートメイクをされることを知り、お客様の新情報を得る。寄り添う接客により信頼関係が構築され、一緒にイメージを作っていくことができるのだろう。

 

施術時間は一時間弱。またしても速い! 

枽野さんは常に「自分がお客様だったらどう思うだろう」と考えるというのだ。

勿論、施術時間が短い=手抜きではない。

長時間座ってもらうことがお客様にとっては苦痛な時もあるし、大切な時間を奪ってしまうことになるかもしれない。

それならば、いかに効率良くスムーズに美しい仕上がりになるかを考えて入念な準備をするというのだ。

 

例えば事前に、まつ毛パーマに必要な5つの液を使う順番に並べたり、コットンを箱から出し必要枚数を用意したり、その他、使う道具の位置をきっちりと決めることで、施術中、必要な物を探す手間が省けるという。

なるほど。

 

だから、施術中、物音がほとんどなく静かだったんだ。「自分がお客様の立場になった時、自分の耳元でカチャカチャと何かを探す音を立てられると嫌なので、自分がされて嫌だと思うことはしないようにしています」と、座席シーツのシワにもこだわり、必ず綺麗にのばしてお客様をお迎えしているという。

 

小さな心配りがお客様の心地よさと安心感につながり、それが指名される理由でもあるのだろう。

今は今しかない
応援団長に!

お店を出て、近くのカフェまで一緒に歩いた。

川添いに桜並木が続く光景を見ながら、「春、満開になると、素敵なんですよ」と枽野さん。

また、桜の時期にここで撮影させてもらいたいものだと、彼女の魅力に私はすっかりはまっていた。

「コンシェルジュのみんなと去年一緒に来た」という神社にもお参りしてからカフェへ。

「甘いものが好き」とケーキを頬張るあどけない姿からは想像していなかった彼女の強さを、この後聞かせてもらうことになった。

 

福岡で三姉妹の真ん中として生まれた。

3歳の時、熊本県阿蘇市へ。

女手一つで育ててくれた母親に感謝しながらも、長女が卒業時、三女の入学に重なるなど、次女の自分はあまり母親に構ってもらえてないと感じた時期もあり寂しかったようだ。

しかし、「母は、進学も就職も、いつも私がどんな選択をしても応援してくれました」と話し、続けて、「でも、反抗期には喧嘩をいっぱいしましたし、今でも意見の違いで喧嘩しますけどね」と笑う。

お母様が大好きなんですね!

 

そんな枽野さんは小学校時代、バスケットボールで腕を鳴らし、選抜チームに入るほどの実力だった。

中学ではバレーボール部に入部したが、高校で再びバスケット部へ。

「みんなで同じ目標に向かって頑張る過程が楽しく、何よりも成し遂げた達成感を共有できることが嬉しかった」と当時を振り返る。

 

美容師になる夢を持ったのは小学校4年の時。

初めて母親に連れて行ってもらった美容院で髪を切ってもらった女性美容師さんを見て「カッコいい!」と憧れたからだという。

学校では、友達たちの楽しい輪に自ら入っていくことが苦手で、誰かの後ろにいるタイプだったというが、そんな彼女の転機は小学校6年の運動会。

 

「今は今しかない!楽しまないと!」

 

と小学校のいい思い出を作りたいと、運動会の応援団長に立候補して紅組50人を束ねる応援団長になったのだ。

優勝を果たし、結果を出したことは今も大切な思い出として心に残っている。

バスケットの大会でも優勝した。彼女は目標に向かって努力するというエネルギーに秀で、達成する喜びを知り成長を遂げてきたのかもしれない。

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美容師 結婚 離婚を経て
シングルマザーとしてスタート

高校卒業後、熊本市内のヘアメイク専門学校に進んだ。しかし、いつも万が一のことを考える性格だという彼女は高校では商業科を専攻していた。

簿記や情報処理を学び、もし美容師になれなかった時は他の道にも進めるようにしっかりと未来を考えていたのだ。

これが、先々彼女の助けになった。

無事、国家試験に受かり晴れて美容師免許を手にした。

福岡の美容院に勤めたが、「憧れる先輩がいなかった」と2年で辞めることに。

その会社の環境や経営方針になじめず、このままここにいたら自分がこの会社の色に染まってしまうことになるのでは?と不安を抱いたのだ。

他の美容院への再就職も考えたが、スタイリストになるまでまた一から勤めるには、当時の美容業界の労働時間や劣悪な環境下では難しく、美容業界から離れることにした。

 

22歳でリビング関係の会社に勤めた。高校時代に商業科で学んだことがいかされた。

九州支社長の側近としてのポジションを与えられ、事務職として売上をまとめたり、資料作成などの業務にあたった。

その後、24歳で結婚を機に上京。

一児の娘にも恵まれたが26歳で離婚。

シングルマザーとしてスタートすることになった。

 

脱毛サロンで働くが、帰宅は夜10時30分をまわり、家事と育児をこなすと寝るのは午前3時だったという。

朝に子供を保育園にあずけ、また仕事に行くという過酷な日々が続いた。

そんな彼女を再び美容の世界に目を向けさせたのは、短期で勤めたネイルスクールの事務仕事に就いた時だった。

 

「若い学生たちが、夢を持ってスクールに通う姿がキラキラして楽しそうで、若い頃の自分と重なったんです!」

 

そして再び美容師免許をいかしたい!と動き出した。

 

しかし、今から美容師になるのは難しい。

そんな時、ルナクレスタの求人サイトに目が止まった。

面接で高橋社長から、子供がいても働いている女性がいることや、独立の可能性もあることを聞き、娘との時間を持てるのではないかと入社を決めた

​実際 ルナクレスタって?

実際、ルナクレスタに勤めてどうなのか?単刀直入に聞いてみた。

ルナクレスタには「時短社員」「正社員」「業務委託」などさまざまな働き方があるという。

そして、勤務は完全に自由で一日の勤務時間に規定がないというのだ。

枽野さんは子供さんを保育園に迎えに行く為、夕方5時半に退社する。

また、以前の会社では、子供さんが熱を出した時、言いづらい環境で、休み明け出勤すると嫌な顔をされることもあり出勤が苦痛だったのだが、ルナクレスタは事情を知っている上での採用なので「嫌な空気感はなく、休み明けでも出勤しやすくて」と話す。

 

ルナクレスタの藤岡会長はコンシェルジュのひとりひとりの人生、環境は異なります。それを企業が受け止め、ひとりひとりが働きやすい環境にすることが、しいては

 

 

働きやすい環境ではあるが、初めの2か月の研修期間は大変だったようだ。

ビデオを見ながら自主練。実習では一日に何人もを施術し、とにかく実践の日々。

コンシェルジュとしてデビューしてまもなく2年だが、今でも勉強と実践の日々だという。

 

「私たちは職人です」「自分がやらないと向上はしません」

「苦手な施術があったとしても、他のコンシェルジュの真似をしたからといって上手くはいきません」

「それぞれの癖があり手の角度も違うので、結局は自分と向き合い、自分と闘い、乗り越えていくしかないのです」と桒野さん。

もちろん、客観的に見て素晴らしい!と思うコンシェルジュを見習ったり、情報共有することもあるが、基本は自分と向き合うことだという。

そして、どうしても技術面で壁が立ちはだかった時は、業界第一人者である代表講師を務める佐藤先生の指導を受けられる体制にあるのがルナクレスタだ。

 

正直、今日、二人のお客様に関してはパーフェクトに私は見えたのだが、彼女は会話も技術もまだまだだという。

枽野さんは「いつも自分に足りないことがあると感じているので、もっと頑張らないといけない!」と思うというのだ。

だからこそ、彼女の可能性は無限なんだ。そして彼女は今年●月、ゼネラルコンシェルジュに昇格。

サロン運営に参画し、働く環境への提案などもしていくポジションだ。

「コンシェルジュがより働きやすい環境を作れたら全体の売上にも繋がるのではないかと考え、そのお手伝いができたら」と思い、自らゼネラルに志願し承認された。彼女は自分の提案が採用され、お客様の数が増え、売上が上がり、結果に繋がった時、達成感を感じるという。

その達成感が彼女をさらなる成長へと向かわせる。

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尊敬する人がいる
そして私もできる!

これからの夢を聞いてみた。

 

「今後、店舗が増えて行くとともに、私たちと同じように頑張ってくれる人を増やしたい」という。

その為に、「入社した人たちの憧れの存在にならなければなりません。

会社に憧れる人がいたら、人は辞めないし、人が増えるし、お店も増えると思うのです」と語る枽野さん。

あぁ、、そうか。初めの美容院を辞めた理由が「憧れる先輩がいなかったから」だった。

そして、「頑張る人を育てる人になりたい」とも話し、彼女の瞳は会社の未来を見ていた。

 

ここまで聞いたところで、そろそろ娘さんのお迎えの時間がやってきた。最後に聞いてみた。今、一番の幸せはなんですか?

 

「娘と一緒に出かけることです!」

 

休みの日にディズニーに行ったり、横浜の夜景が見えるホテルに泊まるというのだ。

そう、幼い娘さんと「今を楽しみ、今しか出来ないことをする!」それがモットーだ。

 

そして、彼女は言う。どんなにどん底で大変な時があっても、何とかなると。

「出来ないからやらない」のではなく「どうやったら出来るんだろう」と考えることが大切だというのだ。

そして、もし自分と同じようにシングルマザーの女性たちにアドバイスするとしたら「結局は自分次第で何とでもなる」ということを伝えたいという。

誰かのせいにすることはなく、人生は自分が動くことで切り開いていくことができる!彼女の言葉からそう感じた。

 

これからもきっと大変なことがあるかもしれない。

しかし、

「ひとりで三人を育ててくれた強い母親の背中を見て育った私にもできる!」と言い切る。

 

そして、尊敬する人はいますか?の問いには即答だった。

 

「母です。自分が母親になった今、より母の偉大さを身にしみて感じます」

 

門前仲町駅で枽野さんとサヨナラした。娘さんを迎えに行く後姿が優しくもちょっぴり強く見えた。その背中を、彼女の娘さんがきっと見ている。

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​写真&文章 本堂亜紀( Director / Photographer / Personal trainer / Writer ) 連絡先:akihondo@jt7.so-net.ne.jp

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